深谷市総合体育館・深谷ビッグタートルは、外壁に地元特産(現在工場は閉鎖され製造はしておりません)である深谷赤レンガが使われ、施設内には大理石の巨大な柱が立ち並ぶ1万2千m2の床面積と多様な機能を持つ体育館です。
ビッグタートルを取り巻く公園の全体面積は32ヘクタールで、後方には散歩道がめぐる15ヘクタールの丘陵型ミニ森林公園・仙元山があり、周囲には陸上競技場、野球場、テニスコート、多目的グラウンドなど、多数の屋外スポーツ施設の他、遊園地も併設された全国でも数少ない恵まれた環境にある総合体育館といえます。
山のふもとには、深谷上杉氏菩提寺の名刹・昌福寺(緑と散歩道の維持管理に貢献)があり、頂上には南北朝時代から続く古社・浅間神社もあります。
仙元山周辺にジョギング&ウォーキング用周回コースを設定しました。1kmコースと3kmコースを設定しましたので、どうぞご利用ください。なお、交通事故等には気を付けてください。
仙元山公園周回コース
|
・短歌のこみち・・・参考所要時間 徒歩4分
・俳句のこみち・・・参考所要時間 徒歩7分
・緑のこみち・・・参考所要時間 徒歩30分
●寺の由来
「人見山・昌福寺」は、深谷駅の南方約2kmに位置する標高98mの「丘陵型ミニ森林公園・仙元山」のふもとにあり、創建は室町時代中期の深谷城主「上杉房憲(ふさのり)公」で、江戸時代には寺領20石を拝領していた名刹(めいさつ)です。
ご本尊はお釈迦様で、永平寺・道元禅師と草持寺・蛍山(けいざん)禅師を宗祖に仰ぐ曹洞宗の禅寺であり、開山は御嶽(みたけ)永源寺3世・漱恕(そうじょ)全芳禅師で、もともと上杉家父祖の冥福を祈るため創建され、「人見山」と号されています。
房憲公は、山内上杉の一門で庁鼻和(こはなわ)の祖・奥州管領上杉憲英の曾孫に当たる父憲信とともに武名が高く、康正2年(1456年)人見に出陣して「深谷木瓜(ぼけ)城」を築城し、この地が発展するための基礎を築きました。
境内には、房憲公と上杉家累代の墓をはじめ、入り口の仁王像と仁王門・本堂・鐘楼などがあり、本堂内には釈迦三尊像・千手観音像・開山禅師の木像などがあります。
本堂裏の庭園と竹林は、仙元山の自然や緑とマッチして四季を彩どり、特に、見事な庭園には、毎年4月末ごろ開催される深谷花フェスタのとき、オープンガーデン※1として多くの見学者が訪れています。
※1 オープンガーデンとは、自宅の庭を開放して特定の日に来訪者が見学できる庭で、現在、深谷市には「深谷オープンガーデン花仲間」の会員が約100人居ます。
所在地 埼玉県深谷市人見1391-1
電話番号 048-571-2524
●神社の由来
浅間神社は、深谷駅の南方2kmに位置する標高98mの丘陵型ミニ森林公園・仙元山の頂上にあり、緑豊かな環境に囲まれて自然と共存する由緒ある古社です。
創建年代は不詳ですが、南北朝時代にはすでに存在したようであり、また、縄文時代の昔から眺めの良い場所や水の湧く場所などは聖地として崇められ、それが後代神社になった例もあるため、霊山としての起源は相当古い昔に遡る可能性があります。
御祭神は、天孫「ニニギの尊(みこと)」の妻で、海幸彦と山幸彦の母の「木花開耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)」であり、ほかに6柱の神が祀られています。
古くから安産の神として、近在ばかりか相当遠くの人たちの厚い信仰を集めて、安産講の組織も存在したと言われ、また、養蚕守護の御利益もあったといわれています。
人見館(上杉館)の鬼門に位置したため、室町時代は館鎮護の役割を果たしたようで、平家物語の一の谷の合戦に源氏方で登場する「人見四郎」、その子孫で、太平記の赤坂城の合戦に73歳の高齢の身ながら白髪を染めて出陣した同名の人見四郎も、この地の出身の可能性が高く、今でも仙元山の近くに史跡・人見館跡が保存されています。
鳥居の神社名を記した文字は、昭和9年に皇太子として誕生された現在の平成天皇のご誕生記念として、当時の文部大臣、鳩山一郎が謹書したものです。
※鳩山一郎は自由民主党初代総裁で第52代首相であり、第93代総理、鳩山由起夫の祖父に当たります。
所在地 埼玉県深谷市人見1393
●会の活動
この会は、丘陵型ミニ森林公園・仙元山の自然と緑の保存を目的として結成された組織で、役員10数名は地元自治会役員・昌福寺護寺会役員などの有志です。
現在の活動は、松を保存するための松食い虫の防除対策が中心ですが、今後植樹や清掃を含む山全体の自然と緑の保存を視野に入れた活動を推進する予定です。
所在地・事務局 埼玉県深谷市人見1391-1
電話番号 048-571-2524